岡山県立博物館
NHKで放映中の大河ドラマ「青天を衝け」。現在、渋沢栄一の主として登場している一橋(徳川)慶喜(徳川斉昭の七男)の弟2人が、岡山の大名であったことはご存じでしょうか。
 一人は岡山藩主池田茂政(もちまさ)です。茂政は、天保10(1839)年に生まれます。母は側室の貞子で、斉昭の九男だったことから、九郎麿と名付けられます。嘉永元(1848)年に、現在の埼玉県にあたる武蔵国忍藩主松平忠国の養子(忠矩)となりますが、安政の大獄で父斉昭が処分されたことにより離縁されます。そして、文久3(1863)年岡山藩主池田慶政(よしまさ)の養子となり、家督を相続します。写真は茂政の書で、「斉之以礼」(之を斉ふるに礼を以てす)という『論語』の一節が記されています。
 もう一人は鶴田藩主松平武聰(たけあきら)です。武聰は、天保13年生まれで、母は側室の直、斉昭の十男だったことから十郎麿と名付けられます。弘化4(1847)年、石見国(現在の島根県)浜田藩主松平武成の末期養子として、家督を相続します。慶応2(1866)年の第2次長州征討(幕長戦争)で敗退し、家臣やその家族は浜田から領地のあった美作国久米北条郡・久米南条郡(現在の津山市・久米郡など)に移ります。その後、慶応3年8月に美作国内で仮に2万石与えられ、翌年5月正式に美作国内2万7千石余を与えられ、鶴田(たづた)藩と称しました。明治4(1871)年6月、武聰は、現在の津山市桑下に新築した御殿に移住しました。博物館には、この御殿の図面(知事様御住居麁絵図面板)があります。