岡山県立博物館
岡山県立博物館では、リニューアルオープンに備え、岡山の歴史を分かりやすく展示する準備をしています。古代や中世の文献の数は限られていますが、今日は平安時代の実態を物語る興味深い史料を紹介します。
 『扶桑略記』寛平8(896)年9月22日条には、賀陽一族についての記事があります。この記事は、当時備中介(国司の次官)であった三善清行の記録(善家秘記)を引用したもので、平安時代の岡山の様子が分かる数少ない史料の1つです。これによると、賀陽豊仲は賀陽郡の「大領」(郡司の長官)、弟の良藤は「備前小国」(国司の四等官「少目」のことか)、次の弟の豊蔭は「統領」(軍事を司る官か)、さらに下の弟の豊恒は「吉備津彦神宮禰宜」だったとあります。この地域の富と権力が賀陽氏に集中している様がうかがえます。この記事の主役は蓄財に長けた賀陽良藤で、国司の地位も銭で買っており、彼が狐に化かされた話が詳しく書かれています。あくまで中央出身の官僚である三善清行からの視点であり、在地勢力に対する偏見のような感じもしますが・・・。ただ、賀陽氏は備中国を本拠地とした伝統的な有力氏族で、奈良・平安時代に都で活躍する学者を何人も輩出しています。また、臨済宗の祖とされる栄西も賀陽氏の出身であり、彼が後世に与えた影響は言うまでもありません。古代史に登場する岡山ゆかりの人物としては吉備真備や和気清麻呂が有名ですが、岡山県史を物語る上で賀陽氏が果たした役割も無視できないでしょう。